




◇ディレクター:信越放送 笠井直美◇
番組の後半でも様子を伝えた今年度最後の保護者会でのこと。一年を振り返るお母さんたちは、ほぼ全員が涙ながらに発言をしていた。ともに過ごした年長のお友達が明日巣立ちの日を迎える。そのことに感傷的な気持ちになっているのは分かるけど、どうしてこうもみんながみんな泣いているのか…。目の前で起こっていることをどう理解していいものか、私は少し戸惑っていた。
発言の中身からすると、お母さんたちはどうも悩みを抱えているらしい。それは子どもや夫をはじめとする家族との関係だったり、自分の生き方だったり…。子どものために通っているはずの「くじら雲」が、いつの間にか自分のための「くじら雲」になっている。子どもの姿を見つめることは、自分自身を見つめなおすことになっている。お母さんたちはそのことに気がついて、みんな涙を流していたのだ。
あくる日、ひとりのお母さんが手紙をくれた。「孤独な子育ては沢山の感性に蓋をしないとやっていけない。くじら雲は素の感性のまま、それをあらわにすることが出来る場所…。」この言葉を目にしたとき、私は初めて「くじら雲」の存在意義がわかったような気がした。
心のままに涙を流せる場所は、大人になるほど少なくなる。くじら雲のお母さんたちは、心の中で棚上げにしてきた気持ちを素直に吐き出して、涙を流しても許される場所や仲間を、無意識のうちにもずっと求めていたのだと想う。
日頃、息子を長時間保育園に預け、さらにジジババにも頼りっぱなしの私。愚痴や無関心や放棄は許されず、自分自身としっかりと向き合わざるを得ない子育てとは…。正直なところ恐ろしい。しかし、そんな子育て観を知ってしまったからには無視することも出来なくなってしまった。忙しさにかまけて、私の素の感性はすでに鈍っているのかもしれない。自分自身どれだけそのことに気づけているのかもわからない。ともかく、これ以上感性を鈍らせることのないように、これからも「くじら雲」の取材を続けていこうと思う。新年度が始まって慌しい日々、くれぐれも忙しさにかまけることのないように…。