財団法人 民間放送教育協会

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谷田人司さんよりメッセージ


■ALSになっても記者


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動けない、話せない。しかし記者の仕事を諦めたくない。自分の限界に挑戦したい。普段はこれまで培ってきた人脈を生かしてメールで取材活動を続けている。こんな私でも、会社の厚意で雇用を継続して頂いている。とてもありがたいことです。





■生かされている


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気管切開して人工呼吸器を着けたALS患者は、生かされているという思いが強い。東日本大震災を経験した患者はそういう思いが強くなっていると、私は推測していた。現場をたくさん踏んできた自分としては、現場を踏まないことを我慢できなかった。仙台の患者、土屋雅史さんを取材させて頂くことにした。震災では津波が土屋さん宅のわずか1.5㎞先まで押し寄せた。停電は5日も続いた。人工呼吸器を着けた患者はたんの吸引器やベッドのエアマットなど、電気がないと生活できないが、近所や知人が発電機やガソリンを持ち寄ってくれたり、家族が交替で手動の呼吸器を動かして土屋さんの命をつないだ。未曾有の厳しさの中を生き抜いた土屋さんや家族に、心境の変化があるかどうか気になった。
ところで、ALS患者は筋肉が痩せているため、長時間の座位は辛い。20分も座れば、体位を変えないと尻の痛みが激しくなる。当然、松江から仙台へ行くのは楽ではない。交通機関の手配や取材交渉も自らメールで進めた。記者の意地がそうさせた。
実際土屋さんを訪ねてみると、震災を経験されたことで「今を一生懸命生きるしかない」と、生きる意欲をかき立てられていた。妻の佳代子さんは、「家族の絆を感じた。今までは自分が夫を見ていると思ったが、支えられているかもしれない。1日を大事に生きれば良いと思う」と話された。土屋さん夫妻は震災を経験されて生きる意味と、共に生きる意義を再認識されたように感じた。私たち夫婦は土屋さん夫妻にとても勇気づけられた。
土屋さん宅の帰り道、津波に襲われた現場に立ち寄った。基礎しか残っていない家々の荒涼とした風景が広がっていた。基礎だけになった家を見に来ていた親子は何かを探しているようだった。私は涙なしでこの光景を見られなかった。自分自身が生かされていること、今を一生懸命生きると言うことを一層強くかみしめることとなった。
残念ながらこの仙台でのシーンは番組本編には出てこないが、私にとっては極めて重要な取材であった。


■TLSでも生きる意味はある


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ALSは進行するとTLS(体のどこも動かず全く意思表示できない、いわゆる閉じこめ状態)になる。TLSになっても生きることに、どのような意味があるのだろうか。幸せはあるのだろうか。TLSになった患者とその家族は、どんな風に暮らしているのだろうか。
TLSの患者さんに一度も会ったことがない私は、TLSの恐怖に耐えられるだろうか。関心と怖さ半々で東京都小金井市の鴨下さんを訪ねた。
最も印象的だったのは、患者の雅之さんはTLSになっても、家族にとってかけがえのない夫であり、父親であることに変わりはないということだった。
妻の章子さんは「本人に言えるのは幸せ。遺影に言うのとは違う。聞いてもらえると信じているので幸せ。生きてくれているからこそ」。
家族は子どもの高校合格など、みんなが集まって雅之さんの顔を見て報告したという。二男の俊也さんが小学生になった頃には、雅之さんはかなり進行していた。それでも座りながらキャッチボールしてくれた。俊也さんはこう語ってくれた。「父は一人しかいないし、いてくれるからいろいろなことに挑戦したいし、その分、楽しいことをして報告して分かって貰えている。会話はできなくても父は父だから、ちゃんとした父という存在。」と語られ、会話が弾んだ。
(谷田)幸せを実感していますね。
(俊也さん)そうです。ごく普通の幸せです。
(谷田)そういう話を聞けると嬉しいね。
(章子さん)じゃぁ、うちのお父さんも嬉しいね。
(俊也さん)それが一番嬉しいです。
TLSになっても変わらぬ雅之さんの存在感。私は大いに力づけられた。まさに生き抜く勇気を頂いた。


■ノーマライゼーション


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私はALSになってからも、人工呼吸器を着けてからも、公共交通を使って旅行している。ALSだからといって楽しみをバッサリ切り捨てたくないのと、自分が世の中に出て姿を見せることで、少しでも多くの人に気付いてもらい、ALSについて知ってもらいたいからだ。呼吸器を着けたらもうおしまいではない。いわゆるノーマライゼーションに一役買いたい気持ちがある。呼吸器を着けた途端に、病院で寝かせきりになる世の中にはしたくない。



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去年夏の北海道行きでは、日本海側のフェリーを利用した。学生時代は列車と青函連絡船、社会人になってからはフェリーにバイクを載せて何度も通った。日中は船尾のデッキに立つ。海と水平線、空、航跡しか見えない。見つめていると心が空っぽになる。日常では得られない、至福のひとときだ。
船内では妻が手紙をくれるシーンがある。実は私はALSを発病し告知を受けた時、50歳まで生きられたらいいなと思っていた。本当に50歳を迎えられることとなり、ここまで生きてこられたことに感謝したい気持ちを、妻にプレゼントしたリングに託した。結婚から22年。これまでの感謝と、これからもよろしくという思いを込めて。
手紙はそのお返しだった。


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札幌では武田潤(たけだ じゅん)さんと2年ぶりに再会。武田さんは今も昔も土産物店に勤める木彫りの名人。30年前に初めて北海道に渡ったとき、キーホルダー1個しか買わなかった私に、長い時間を掛けて丁寧に北海道の魅力をいろいろ教えて頂いた。この出逢いがなければ、私の北海道通いはなかった。初めて逢ってから30年も経つなんてとても思えない。二人の間で時間が止まっていた。
札幌では髙橋幸一(たかはし こういち)さんにも会う。3年前に車椅子でフェリーに乗ろうとしていた私を気遣い、声を掛けてくださった。これもノーマライゼーションの一つの形。髙橋さんとは毎年会っている。
私が初めて渡道したのは1982年の2月。以来、旅の終わりは決まって函館にしている。北海道を離れるときはいつも午前0時40分発の夜行の青函連絡船。出航時間までいつも必ず寄るバーがあった。「舶来居酒屋杉の子」。創業半世紀を超えた。マスターが繰り出す珠玉のカクテルにいつも心地良く酔っていた。マスターは既に他界されたが、ママの杉目千鶴子(すぎめ ちづこ)さんは今もご健在だ。御歳85歳。ここで一緒に飲むのは片山英昭(かたやま ひであき)さん。3年前に車椅子で入店しようとする私たち夫婦を偶然目撃され、手伝ってくださった。その時、私が一緒に飲みませんかとお誘いしたのがきっかけでお付き合いが始まった。カクテルの味を舌で確かめたあとは、胃ろうからゆっくり流し込む。自分が重度難病患者であることを忘れてしまう瞬間だ。
これもノーマライゼーションの一つの形か。変わらぬ店の作りや雰囲気に包まれ、千鶴子さん片山さんとの語らいは尽きない。来年も必ず会おうと約束し合った。30年前と同じように、私の函館の夜は更けていった。


■心がブレながら生きる決意が固まって行く


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時々絶望感に苛まれる。妻が疲れていて介護をしてもらえない時だ。呼び出しボタンを押しても対応してもらえないと、恐怖感にとらわれる。こうしたことがあると人工呼吸器を着けたことを後悔してしまう。家族に負担をかけている辛さが募る。こういう時はいかに自分の人生の幕引きを図るかを考えてしまう。実際、呼吸器のホースが外れたことが何度かあり、いずれの時もすぐ対応してもらえたため難を逃れた。しかし、対応してもらえないと死につながる。
自分としては生きる決意を固めているが、過去には呼吸器のホースを自分で外したり、たんの吸引を拒み肺炎になろうとしたこともあった。ただ、今では手の動きが悪くなり、ホースを外すことができなくなった。もはや生き抜くしか選択肢はない。

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妻は、時に弱気になる私を励ましてくれる。「私のためにも生きて欲しい。生かされているのだから」。妻からそう言われると沈んだ気持ちが蘇る。土屋さんを取材している時、妻はこういうことを言った。「TLSになっても外しては受け入れられない。夫婦だから自分の命みたいなもの」。
鴨下さんを取材した際、妻の章子さんは「主人は達観している」と話された。そこに至るまで、前述したように私は気持ちが時にマイナス方向に振れながらも、やがて「達観」の域に達するのだと思うし、そうなりたい。



■社会的介護の充実が不可欠


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島根県庁で取材した際、最新のデータでは68%の患者が呼吸器を着けずに死を選んでいたと推測されることがわかった。呼吸器を着けない理由として、家族の介護負担を考えたり、自分の人生に満足しているとのことだが、本当だろうか。
島根県内4つの保健所管内ではヘルパーの吸引講習が開かれたことがない。理由はニーズがないからとのこと。私は疑わしいと思っている。在宅患者が多い管内では、家族が過酷な介護を強いられている実態が厳然と存在する。
実は私と妻は告知以来、呼吸器を着けたらどんな介護が必要になるか、どんな支援制度があるか、具体的に医療や行政から説明されたことがない。今までメディカル・ソーシャルワーカーに会ったこともない。支援制度は縦割りで役所には振り回される。ALS患者と家族は生きるために自己開拓しなければならず、本当に過酷だ。現に今も私や妻に対し、多くの患者さんや家族の方からどうすれば生きられるか、例えば、呼吸器を着けたらどんな介護が必要になるのかと尋ねられる。
つまり医療も行政も、どうすれば生きていけるかという極めて重要な情報を、きちんと説明していないのではないか。患者が呼吸器装着の是非を決めるのはそういう大切な情報を聞き、よく理解してからであるのにもかかわらず。
原因不明で誰がかかるかわからないALSなのに、本当に医療も行政も手つかずの面が多すぎる。
患者や家族が声を上げないと、状況は変わらない。

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