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 ディレクターズ日記   RKB毎日放送 阿佐部伸一
その12
   この番組のナレーターを女優の泉ピン子さんが務めてくれた。ピン子さん自身によると、
芸能生活40年にして初のナレーションとのこと。「私も母親が違って、芸能界に入るまで
は相当のワルだったの。だから、塾の子供たちの気持ちは自分のことのように分かるし、
工藤さんの活動に共感してね」と本人の弁。ナレーション録りに立ち会った工藤氏に、ピ
ン子さんは「手紙ちょうだい、力になるから」と応援を約束した。
   その夜、工藤氏は東京に泊まることにした。深夜になっても住み込みの子供たちの間で
喧嘩が収まらず、携帯で双方の言い分を聞く。「裏でこそこそすんな。言いたいことがあっ
たら言え」。1000キロ近く離れていても、工藤氏は子供たちに目をかけている。泊まっ
た理由は、上京を機に前々から電話相談を受けていた関東在住の親子に会うためだ。学校
や施設、病院などにサジを投げられた子供の親が、全国各地から工藤氏を頼ってくる。だ
が、「ほたっちょく」ようで、ひとり一人を見守るという工藤氏の方針では、現在住み込ん
でいる7人で限界に近い。
   翌朝、新宿東口で会った親子からは小一時間話を聞き、「また、いつでも電話してきて」
と励ました。非行型不登校の子供たちを立ち直らせようと始めた塾だが、ひきこもり型は
もちろん、自殺未遂を繰り返す子供たちも入塾を希望してくる。それでも、工藤氏は「リ
スカも暴走も、孤独で相手にして欲しいからやること、根っこは同じ」と、少なくとも話
だけは聞くようにしている。この日は人混みでパニック障害を起こしやすい子供が「工藤
さんに会えるなら」と新宿へ出てきた。
   ふれ愛義塾の存在が知れるに連れ、顕在化する需要。工藤氏は田川市教委の協力を得て、
市の施設を借り受け、これまで受け皿がなかった非行型不登校児のフリースクールを作ろ
うとしている。塾では夕方から朝と休日、工藤氏が子供たちを見て、平日の昼間はフリー
スクールで教師が社会適応や勉強を教えることになるらしい。
   しかし、抜本的解決は、工藤氏のような人材が育つ一方、各地に第二、第三の工藤氏
が現れ、ひいては家庭や学校、地域が変わっていかねばならない。異質な存在に対して見て
見ない振りをし、落ちこぼれを切り捨てる風潮は、そう簡単に変わらない。それ故、工藤
氏にとって田川ふれ愛義塾は生涯の仕事になりそうだ。

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その11
   田川ふれ愛義塾は、居場所のない子供の塾だが、同時に現代の教育問題のシワ寄せを一
手に引き受けているような所とも言える。番組ロケは終盤に差し掛かったが、塾生の構成
も状態も、日々変化している。だが、収拾がつかなくなるため、番組はあえて間口を広げ
ていない。それだけに誤解を避けるため、当ホームページで是非、補足しておきたいこと
がある。それは「どうして工藤氏は喰っているのか」ということだ。
   まず自分の家族は牛乳販売業で養っている。住まいは市営住宅。塾の運営費は、住み込
みの塾生の親から、原則1日あたり2500円を徴収している。原則というのは、親の収
入にスライドさせていることと、緊急を要する子供は、親が払わなくても、受け入れたり
するからだ。また、工藤氏自身の講演に対する、学校や自治体から謝礼も塾の経費に廻し
ている。
   支持者からの食糧の寄付があったり、工藤氏の出張中のカバー要員や、勉強の補習など
はボランティアを買って出てくれる地元教師や大学生、元暴走族仲間がいたりする。だが、
家賃をはじめ電気、ガス、水道代のほか、相談に行く交通費や、子供たちの送り迎えする
ガソリン代も要る。工藤氏は土日曜も塾に行くし、問題児には深夜早朝を問わぬ対応、眼
が離せない子供がいる時期は塾に泊り込む。
   半年ほど取材に通って、「好きじゃないとできない仕事。どうみても金銭的には割に合わ
ない仕事」だと思った。工藤氏の場合は、自分が更生するだけでは晴れなかった罪の意識
というのが、彼自身が言葉にする動機だ。もっとセンチメンタルに見れば、自分が子供の
頃に満たされなかった"切なさ"が、彼の深いところで原動力になっているようにも思え
る。

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その10
   工藤氏と初めて飲んだ。時間外も休日もなく、子供たちと付き合っている工藤氏に息抜
きをしてもらえればと、田川の夜に繰り出したのである。片時も目が離せない子供がまた
入塾したことから、夕方帰宅して深夜塾に戻って泊まり込むという生活が2か月近く続い
ていたが、この日は元暴走族仲間が交代してくれた。
   入ったラウンジのチーママは、地元生まれ育ちの36歳、この道16年というベテラン。
幼い頃に親が離婚し、暴走族と付き合い、シンナーや覚せい剤など「全部」やり、何度も
警察のお世話になったという。工藤氏が小中学生の頃に憧れた先輩たちが、彼女の世代。
二人の間で次々と共通の名前が上がり、話は一頻り盛り上がる。
   チーママは夫と離婚したが、男は戻ってきて内縁関係に。だが、結局、男は若い女のも
とへ走ってしまい、いまは女手一つで、下はまだ三歳という5人の子供を育てている。塾
生やその母親ともダブるような身の上話が、ほろ苦い肴となる。
   しかし、工藤氏は深酒をせず、タバコも吸わない。珈琲は「こってり絞られた校長室
の臭いがするから」と飲めない。「もう普通のサラリーマンの三倍は遊びましたから、自分は
…」。ストレス解消は自宅に戻った時に二人の愛娘を抱き上げることと、月に一度はいまも
続けている寺での座禅。時間が出来たら、生まれて初めて自動二輪の免許を取って、ツー
リングに出かけたいという。
   灯りが消えたままの看板が目立つ飲屋街を、仕上げのラーメン屋に向けて歩き始めると、
他の客に付いていたホステスが追っかけてきた。「工藤さぁーん、握手してください!」。
それが"営業"の見送りでないことは、彼女の緊張したような笑顔から判る。「えっ、御利
益はないと思うけど…」。田川のいい男として知られてきた元暴走族総長は、「もう悪いこ
とは出来んすね」と笑った。

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その9
「いただきます」。あの13歳の少女が皆と一緒に夕食を取っている。左手は決して茶碗
は持たず、床に突いたまま、右手だけで器用に食べる。そんな"お行儀"を些末なことと看
過してしまうのは、この子はこれまでキッチンの隅で頑なに個食を通していたからだ。入
塾から3か月、リビングルームに出てきて、食卓を囲んでいる姿を初めて見た。
   このリビングルームは2階建てアパートの塾にはなかった。若者が夜遅くまで頻繁に出
入りすることが近所迷惑になっていた上に、次々現れる入塾希望者や、工藤氏が受け入れ
なければならないと思う子供たちで部屋数が足らなくなり、塾は引っ越したのだ。市から
公共施設が無償貸与されるのを待たず、限界と緊急性を感じていた工藤氏の英断だった。
今度の建物は一戸建て平屋住宅で20畳近いLDKがあり、玄関は道路一本隔ててローカ
ル線に面し、南側は草ぼうぼうの空き地だ。
   引っ越しは10月初旬、業者には頼まず、普段牛乳配達の軽トラックを使い、工藤氏の
指揮の下、塾生たちが力を合わせて行った。子供たちも間取りや環境が気に入ったようで、
より落ち着いた日々を送っている。
   食事の途中、16歳の少年が仕事から帰ってきた。暴力団の末端構成員のそのまた使い
走りをしていた少年は、スーパーのバイトに「生まれて初めて休まず」通った後、大工と
してフルタイムで働き始めた。「やっぱ、働いた後の飯は最高に美味いっす」。ニッカーボ
ッカーズ姿のまま、てんこ盛りのご飯をお代わりする。
   二人とも工藤氏の塾に住み込み、夏の合宿を機に変化してきた住み込みの子供たち。ロ
ケが終盤に差し掛かったが、けっして演出などではない。ある意味、大人たちの言うこと
を聞かないからこそ、ここに来た子たちなのだから。

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その8
   コトコトと単線を走る一両きりのディゼルカーで、また田川にやって来た。九州で最も
活気がある福岡市からここへ来ると、寂れた感じを禁じ得ない。その一方で、家賃が1万
円を切る市営住宅があり、大衆食堂のうどんも270円と、暮らしやすそうに見える。が、
いかんせん仕事がない。かといって、福岡市へ通勤すると、時間と定期代がバカにならな
い。
   これは日本で稼いだカネを持って途上国へ行った時と同じ感覚である。日本人でも現地
で働いて得た金では、向こうの人と同じくらい苦しいか、それ以上に侘びしい暮らしとな
る。経済格差がある二つの地域を、自由に行き来できている人が感じることだ。
   話が逸れたようで、逸れてはいない。塾には、日本のなかでも旧産炭地や斜陽産業の企
業城下町などに生また子供が多い。今やそうした地域に限らず、格差が広がっている。貧
困家庭で、地域が荒れていても、周囲みんなが同程度に苦しければ、それが当たり前。ひ
がんだり、羨ましがったり、ヤケを起こしたり、絶望することもない。しかし、勤勉や勤
労ではどうにもなりそうにない格差を知ると、無茶をしたり、自暴自棄になったりするの
は想像に難くない。
   貧しくても、明日に希望が持てれば、非行に走ったり、引きこもったりする子供は、ぐ
っと減るだろう。塾生の中には、いわゆる勝ち組の家庭からの子供もいるが、その家庭が
子供にとって「恵まれた家庭」とは言えない。富や地位、名誉を維持しようとする親に自
由を奪われ、進路を押し付けられている子供たちも、希望が持てないという点では同じだ。
子供は生まれ落ちる所を自分で選べない。だからこそ、工藤氏が塾生を「家族」と呼ぶ『田
川ふれ愛義塾』には、大きな意義がある。

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その7
「今だから言えますけど、頭ごなしに叱ってもダメでしたね。あの頃は仕事で疲れていて
なかなか出来ませんでしたが、『何かあったの?』と子供の話を聞いてやらないと」。いま
子供を塾に預けている親たちに何か助言はという問いに、工藤氏の母、朝代さん(51)は
9か月になる二人目の孫を抱いて、こう答えた。
   塾の子供たちと世間話をするうち、少なくともここでは、最大の原因は家庭環境にあり、
問題は大きく二つに類別できるのではと思った。
   まず、一つ目は、親自身が家庭や学校できちんとした教育を受けられていないケースだ。
所謂"若気の至り"で親になり、家庭を持っても奔放な生活を改めず、親の自覚がないと
思わざるを得ないような話を、子供の口から聞かされる。配偶者との不和や不倫相手との
ドロドロした関係、家計の危機などを、年端もいかない子供の前にさらけ出し、大人の問
題に子を巻き込んでしまった状況が見えてくる。
   程度の差こそあれ、人生には経済的に苦しい時期、浮気や夫婦喧嘩は、どこの家庭にも
あろう。しかし、そこで子供の手前ケジメを付けたり、子供の眼には入らぬようにするか
どうかは、その人がそれまでの人生で得たものに拠るだろう。
   目が離せない塾生がいて、工藤氏は塾に泊まり込む日も少なくない。それでも彼は時間
を見つけては、二人の我が子との接触を大切にしている。彼が感心するほど家族思いなの
は、弟の面倒を見ながら留守番した母子家庭の寂しい思い出の裏返しでもあろう。
   子供たちが塾に来る前に置かれていた、もう一つの環境は、未だに"永遠の右上がり経
済"を信じ、一流大企業を志向する親の下、そんな価値観を押しつけられていたケース。
しかし、子供たちに将来の夢を訊くと、美容師になって東京へ行きたいだとか、大工にな
って趣味のボクシングを続けたい、バイトでお金を貯めて飲食店を開きたいといった堅実
な答えが返ってくる。そんな親は自分たちが高度成長期に生まれ育った世代であること再
認し、経済が峠を越した辺りで生まれていたならばという想像力を働かせたら、どうだろ
う。
   工藤氏は、親には子供を預ける条件を一つ、課している。「なぜ子供が非行に走ったか、
ひきこもって口も聞かないのか、まず親が自覚しなければ」と。それは親への再教育でも
ある。

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その6

   田川市はかつて炭都と呼ばれた。工藤氏が生まれ育った街である。
   先日の取材では、彼が所帯を持つまで暮らしていた団地で、幼少時代の話を聞くことに
なった。    復興補助金などで整備された道路沿いに立派な公共建造物が建てられ、往時を知らない
人には、新興都市のように映るかも知れない。しかし、工藤氏の軽トラックを追っかけて、
国道や県道から逸れると、炭坑労働者が暮らした「炭住」や、バラックが軒を連ねる飲屋
街を目の当たりにすることになる。
   もう何年も前に空き家になり、廃墟と化した家や店。それでも、棟続きには、今も布団
や運動靴が干してあったりする。台所のスリガラスには茶碗や皿の影。外壁は廃材で、屋
根はブルーシートで養生してある。鉄筋コンクリートに建て替えられた市営住宅を含め、
住民には閉山で失業して以来、安定した職に就けなかったり、事業が上手くいかなかった
りし、家庭崩壊を招いた人も少なくない。
   閉山は1960年代半ば。77年生まれの工藤氏は景気が良かった頃の田川を知らない。
彼の父親は既に閉山した街で、炭坑設備の解体や、芳しくない代替産業に絡んで、トラッ
ク運転手などをしていたが、彼が小学校へ上がる前に離婚し、田川を去っている。
   元から農林水産業しかない農漁村とは違って、産業が衰退して仕事がなくなったこの街。
人口5万余人ということは、約半数の人たちが、さまざまな事情で都会へ出て行けなかっ
たか、行かなかった計算になる。展望が持てない貧困のなか、大人たちは刹那的になり、
アルコールや薬物、賭博などに開放感を求めた。工藤氏が生まれ育った市営住宅では、昼
間から酒をあおって色事や博打にうつつを抜かしたり、喧嘩をしたり、薬物中毒でワケの
分からないことを叫んだりする年長者がいつも周囲にいて、パトカーが頻繁に巡回してき
ていたそうだ。今は殆どがお年寄りだけの世帯となって静まり返る団地で、彼はそんな退
廃したコミュニティーだったことを、はっきり覚えているという。
   ここ田川を一変させたエネルギー革命は半世紀前のことだった。それ以降、日本は旧産
炭地を置き去りに、高度成長の波に乗った。そして、いま再び、政府は行財政改革で、企
業はリストラ・非社員化で大ナタを振り下ろしている。かつて田川の人たちが舐めた辛酸
に、どこで遭遇しても不思議ではない。工藤氏の塾に来る子供たちの家庭には、拡がる格
差が濃い影を落としている。

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その5
   全国で2学期が始まっている。ふれ愛義塾に住み込んでいる13歳の少女も、始業式に
臨んだ。前夜、自分から着ると言っていた出身校の制服は結局着なかった。「朝、着てみ
たら、丈が長すぎたから」。授業らしい授業はなかったが、それでも少女は昼休みまで我
慢できずに教室を飛び出した。彼女を1時間以上に亘って廊下でなだめることになった先
生には悪いが、まずはこの子が自ら登校したことが大きい。
   そんな光景を取材していて、ふと思ったのは、絶対音感や言葉の学習でよく言われる臨
界期が12、3歳で終わるということだ。工藤さんの塾に来ている子供たちの大半が、そ
の臨界期までに家庭で済ませているはずの「しつけ」ができておらず、社会生活を送るた
めの基本的な規範が身に付いていない。我が儘とか、悪戯坊主、乱暴、落ち着きがないと
いった協調性のなさは、小学生のうちこそ個性の範囲に入れられていても、中高生になれ
ば学校や社会に適応できない子供と目される。
   しかし、臨界期を過ぎた子供たちに、乳幼児にするような教育は功を奏さない。工藤氏
は他人から幾ら言われても、自覚するまでは立ち直れなかった体験から「ほたっちょけ」
と、挨拶以外に強制することはない。だが、それでいて、子供を一人の人間として信用し、
目をかけていることだけは分からせる。大人になりかけている彼らには、そんな一見遠回
りに見える方法こそ、期待できると思った。


その4
   顔を出せない子供たちがいる。本人たちは無邪気なもので、カメラを向けられることを
全く気にしていない。むしろ、寂しいので、話し相手になってくれる大人に近づいてくる。
しかし、工藤さんは子供たちの人権や将来を気遣っている。
   その子たちが、なぜ『ふれ愛義塾』に入ってきたのかという過去や背景が周知のことと
なると、差別が強まったり、以前の仲間から嫌がらせを受けたりする可能性がある。誰も
が温かく見守ってくれるとは限らず、日頃の鬱憤を晴らす対象を探している人もいるだろ
う。そんな社会にまで責任を持てないし、子供たちが"不良のレッテル"を、いつまでも
粋がっているとも思えないからだ。
   工藤さんの考えは、十二分に分かる。だから、この番組でも、家庭環境や入塾までにや
ってきたことを詳しく描く子供たちについては、顔や氏名を出さない。塾という新しい環
境で、元暴走族総長の工藤さんに接して、どう変わっていくかが焦点であり、「この子は某
誰」と人物を特定することは不要なことだからである。

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その3
   賑わうマイクロバスの中、カーテンで顔を隠し、誰とも口をきかない少女がいた。それ
でも、ハンドルを握る工藤さんは嬉しそうだ。というのも、少女は塾に泊まり込んでいる
一人なのだが、「合宿なんか、絶対に行かない」と、ずっと前から宣言していたから。この
バスに乗っていることだけでも、大変な進歩なのである。
   8月下旬、『ふれ愛義塾』の初めての合宿。行き先は資金不足のため、塾からバスで1時
間ほどの大分県の清流となった。工藤さんは、有名な観光地に行く必要はないと考えてい
る。それより、合宿という場で、塾に足が遠退いている子供の顔を見られ、引っ込み思案
の子を連れ出せればよいと思っている。
   その狙い通り、今回の合宿には現在の塾生12人ほどに加え、この春就職したり、高校
へ進学した子供たちが参加し、総勢25人前後と盛況だった。水着を持ってきていなかっ
た少女は、服のままで川遊びをし、夕食のBBQでは飯炊きを担当した。恵まれない家庭
環境に引きこもっていた子供たちも、とりあえずは同じような境遇にある仲間たちと接触
しはじめる。こんな変化を、カメラは追っている。

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その2
   家にも、学校にも居場所がなく、フリースクールや児童相談所も対応しがたい子供たち。
塾にはそんな子供たちが集まってくる。だが、工藤さんは、彼らに多くを求めない。シン
ナーや暴走行為などを即刻止めることを入塾条件にはしていない。そんなことを言えば、
彼らは親や教師に対するのと同様、工藤さんにも反発して、塾へ近寄らなくなるだけだか
ら。
   まずは挨拶や規則正しい生活など最低限のことを守らせ、世間話から始めて、じっくり
相談に乗る。だから、傍目には塾は溜まり場のよう、子供たちはダラダラ遊んでいるだけ
に見える。けれど、学校に行かないならアルバイト、働くのが嫌なら勉強などと、工藤さ
んは促すことも、むろん強制することもない。
   番組タイトルにもした「ほたっちょけ」。そういって、子供が自ら「学びたい」、「働きた
い」という気持ちになるのを待つ。なぜなら、彼には非行に走る子供たちが背負っている
ものと心境が、自分の体験とダブって見え、自ら立ち直ろうと思うまでは、言ってもダメ
と確信しているからだ。
   小学4年にしてガキ大将、16歳で暴走族の総長になった彼のカリスマ性は、ヤクザの
任侠道に通じるものがある。塾に集う子供たちを家族のように信頼し、とことん面倒を見る
。不幸にも信頼されたことがない子供たちの胸に、それがじわじわ響いていくのである。

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その1
   番組の主人公、工藤良さんを地方紙で知ったのは4年前のことだった。その記事は暴走
族の総長だった彼が福岡県警田川警察署で解散を誓い、元メンバーを引き連れて清掃ボラ
ンティアを始めたというもの。当時挙げた企画にプロデューサーが食指を動かさなかった
理由は、たぶん目立ちたがり屋のパフォーマンス臭がしたからだろう。
   今年出し直したものが採用となったのは、牛乳販売業で生計を立てた工藤さんが、塾を
開いたからだと思う。都合のつく日に集まって、ゴミ拾いをするのとは土台異なり、塾の
運営には確固とした方針や経営センスが求められ、根気も要る。本腰を入れないと出来な
い仕事を始めたのである。親との不仲や家庭の事情で帰る所がない子供は、独り立ちでき
るまで、たぶん、中学を卒業するまで塾に住み込むことになる。どんなことがあっても、
途中で投げ出すわけにはいかない。
   工藤さんは自身の反省に加え、周囲の若者を悪の道へ誘い入れたことに対して、強い贖
罪の念を抱いている。そんな彼だから、行き場がない子供たちのための塾を"天職"と感
じている。『田川ふれ愛義塾』という看板を揚げたのは今年2月。奮闘する工藤さんに感化
され、変わっていく子供たちを、いま撮っている。

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