第25回 母の衣に抱かれて 津軽 袰月ものがたり

2011年2月11日(金・祝)10:30~11:25(テレビ朝日OA) 青森放送制作

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 津軽半島の先端に、美しく、取り残された、とある集落。
本州最北の地、奇岩・袰岩、奇勝の岬には不思議な魅力があるという。
しかし、かつて栄えた集落も、現在は子供が一人もおらず、
平均年齢は70を超え、厳しい冬をじっと耐える。
来る春を待ちわびる老人たちは、いま何を想うのか。
袰月にまた昇る満月。いい時も悪い時も、月は優しく見守っている。

全国には65歳以上の高齢者が人口の半分に達した「限界集落」が7878(2006年国土交通省集落状況調査より)ある。そしてその集落の3分の一は、いずれ消滅すると言われている。津軽半島の先端にある袰月も、その一つだ。
かつてここには村役場や学校があった。戦後間もないころは人口は400人を超え、村祭りや青年団の活動で賑わっていた。しかし昭和30年の市町村合併で今別町となり、日本が高度経済成長を遂げる中、次第に過疎化が進んでいった。現在、袰月には39世帯63人が暮らしている。ここには子供が一人もいない。

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↓↓ 袰月のスケッチ地図。津軽海峡に面したこの小さな集落が今回の舞台です。 ↓↓

tokiji01.jpg 漁師の米田時二さん(87)は今でも海へ出る。9年前に奥さんを亡くし、一人暮らし。それまで料理をしたことがなく困っていたところに、毎日
近所の人たちから差し入れが届いた。冷蔵庫の中にはもらったおかずがいくつも入っている。「とっても助かっている。みんなに生かされているようなものだ」と時二さん。

 

ogura.jpg最高齢の小倉直一さん(88)は桜が大好きだ。岩にへばりつく様に生えた桜の木の生命力に感動し、その枝を使ってさし木を始めた。直一さんは毎日様子を見にやってくる。さし木が花を付けるのは何年も先だが、「土手を桜でいっぱいにしたい」と言う。

ogura.jpg この集落に小倉龍毅さん(66)が夫婦でUターンしてきた。15歳で袰月を離れ、東京生活が長かった龍毅さんだが、定年を迎え故郷へ帰って来たのだ。龍毅さんはかつての賑わいが無くなってしまった袰月を見て、何とかしたいと思うようになった。そして袰月で採れた天然ワカメを、道の駅で販売し始めた。販路を拡大して、雇用を創出するのが狙いだ。

お盆の時期、袰月に一瞬の夏が訪れる。都会で働く子供たちが孫を連れて帰省して来るのだ。集落には子供の声が響く。一人暮らしの時二さんは、その様子を見ながら言う。「息子達にはいい所でいい生活をしてもらいたいから、最初から覚悟の上で街へ出した。一緒にいれば力強いけれども、生活出来なければ、共に苦しむ事になる。子供が袰月に残ってほしいと思っていた人はいなかった」。

tokiji02.jpgお盆が終わり子供たちはまた元の生活に戻っていく。道路には子供がチョークで描いた落書きだけが残った。
12月、袰月に厳しい冬がやってくる。一人暮らしの時二さんは膝が悪く雪かきができないため、冬は青森市の息子の所に身を寄せなければならない。再び大好きな故郷に戻ってこられるのか。出発の日、時二さんは故郷を目に焼き付けるように見つめていた。

年が明けた1月15日。この日は恒例の獅子舞の日だ。獅子舞は集落全部の家々を回り、健康を祈る。Uターンしてきた龍毅さんも、その中にいた。獅子舞の来るのを待ち望んでいる人々を見て、伝統行事の大切さを実感した。獅子舞は不在の時二さんの家にもやってきた。春になったらまた元気な姿を見せてほしい、それは集落みんなの願いだ。


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wakuiemi.jpg【ナレーター  和久井映見】
オープニングの厳しい雪の映像には圧倒されました。
今回の番組では、厳しくも美しい自然に囲まれた袰月集落を見守る月の精として語っています。
春夏秋冬と番組が進み、番組後半では、子供たちがいなくなってしまった理由が明らかになります。故郷を愛しながらも子供たちの幸福を考えた袰月のみなさんの生き方には、画面を見ながら言葉がつまりました。「新聞やテレビで使われている『限界集落』という言葉の『限界』ってなんだろう?」と考えさせられる作品だと思います。

【制作者から】
青森県内は高齢化率が高まり、2009年の65歳以上の高齢者人口は総人口の25.4%(青森県発表2009年人口統計より)となり、初めて25%を超えました。青森県には15の限界集落があり、その中でも袰月は平均年齢が73歳と、県内で一番高齢化率の高い集落です。

袰月を訪れたのは2008年の春でした。その日、人々は総出で村の清掃を行っていました。そこで聞いた声は「ここはかつて一本木村(昭和30年に今別町に統合)の中心だった」、「ここで生まれたからここで死にたい」という、故郷への強い愛着でした。
65歳以上の住民が人口の50%を超えた集落は、「限界集落」という言葉でカテゴライズされます。集落はどうして「限界」になってしまったのか、そもそもこの集落は本当に「限界」なのか、その疑問から取材を始めました。
四季を通して取材を続ける中、見えてきたものは現代社会から消えてしまった「結いの心」でした。厳しい自然と向き合わなければならない毎日が、その精神を強く育ませたのです。しかし、決して折れないその心とは裏腹に、高齢化による「限界」が近づいていきます。

取材を通して、どんなに天気が良くても、どんなに人々が生き生きと暮らしていても、暗い影のようなものを感ぜずにはいられませんでした。それがここに暮らす人々の覚悟だったことが、随分後から分かりました。
戦後、漁業では生きていけない事を悟った漁師たちは、子供たちをこの集落から都市部へと出してしまいます。その頃、日本は高度経済成長期を迎え、中央は若い労働力を欲していました。漁師たちは家族一緒に暮らすことを諦め、子供の将来の事だけを思ってそうしたのです。それはここでは住民全員の共通認識であり、と同時にそれは、並々ならぬ覚悟だったと思います。

全国には「限界集落」が7878あり、その内10年以内に消滅の可能性のある集落が423、いずれ消滅する可能性のある集落が2220あります(国土交通省平成19年国土形成計画策定のための集落状況に関する状況把握調査より)。これは経済優先でまい進してきた日本の現在の姿です。この番組が本当の豊かさとは何か、また我々にとって故郷や家族は何かを考えるきっかけになればと思います。

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