
福島県伊達市霊山町、のどかな里山に「りょうぜん里山がっこう」があります。
農家として安心、安全な食べ物作りに取り組み消費者との交流を続けてきた高野金助さん (60歳)が自然や人とのふれあいの中で、生きがいや感動、友情を感じ、ともに学びあおうと廃校となった中学校を10年前に甦らせました。
里山がっこうには自然と人が集まるようになり、現在は団塊の世代を対象とした「生きがいづくり」地域の人々の作品を発表する「ギャラリー」、子供たちを育む「野山で遊ぼう里山教室」など年間を通して地域の人々とともに様々な活動が行われています。
ここでは自分ができることでは先生となり、そうでないところでは生徒となる。誰でも先生、誰でも生徒、お互いが支えあい、学びあっています。
過疎、高歳化が進む地域ですが、里山の懐かしい木造校舎には世代を越えて多くの人が集い笑顔が生まれています。
子どもからお年寄りまで、みんなが大事にされる世の中でありたいと願っている高野さん。
まずは笑顔になれることから始めようとチャレンジを続ける高野さんと人々の姿を描きます。

もしあなたが動けなくなったり、話ができなくなったら、どうやって自分の意思を伝えますか?
そんな時、あなたの味方になってくれるチームが、日本の西の端、長崎にあります。
長崎大学工学部の石松研究室は、ロボット工学を駆使して福祉器具を作るユニークな研究室。リーダーは石松隆和教授(58歳)。
メンバーは先生を慕う志を持った学生達です。
ベッドの生活の人には、家族を呼び出せる装置を。
会話ができない人には、意思を伝える器具を。
彼らが作るのは、1人1人に寄り添ったオーダーメイドのお助けロボットです。
長崎市の後藤英明さん(46歳)は、交通事故が原因で車いすの生活を送っています。
後藤さんには、人の手を借りずに好きな時に昼寝がしたいという長年の夢があります。
困っている人がいれば、じっとしてはいられないのが石松先生の性分。
後藤さんの願いを聞いて、石松先生のスイッチが入りました。
さあ、今度はどんなモノで応えるのでしょう?

「夢が詰まった箱ですね」彼女はその装置を、親しみを込めてこう呼びます。
プロピアニスト山崎理恵さん(34歳)は、8年前、病気から下半身の自由を失いました。
音の表現に欠かせない“ピアノペダル”を踏めないことは、ピアニストにとって致命的でした。
もう一度、ペダルを踏みたい・・・夢を諦められずにいた山崎さんに、ある運命的な出会いが待っていました。
「モノづくりの技術がハンディを克服するきっかけになれば」
旭川の技術者、表実さん(59歳)が着目したのは“呼吸”。
口から吹き込む息を使ってペダルを操作できないか? 技術者魂に火がつきました。
番組では、装置の開発秘話や、山崎さんがプロピアニストとして復活するまでの道のりを紹介します。
モノづくりの技術から生まれた装置が、道具としての“モノ”を越え、
ピアニストの輝きを取り戻す“夢の装置”になりました。
彼らを包む、やさしい旋律が、今、聞く人の心へと響きます。

山梨県甲府市で子ども達のための、ラグビースクールを開いている望月大和さん(65歳)。
望月さんは元校長先生です。現役時代は熱血教師として、名を馳せました。
教員を退職後、子どもの頃からの夢でもあった、喫茶店を営んでいます。
喫茶店のオヤジとして、子育てに悩む親達の相談に乗るうち、子ども達の心の叫びを感じます。
そこで、望月さんは立ち上がり、去年2月、かえでラグビースクールを開きました。
スクールの特徴は、不登校の子ども、からだが不自由な子どもを区別なく受け入れること。
男の子も女の子も、幼稚園児も中学生も、みんな一緒に緑の芝生の上で、ボールを追いかけます。
40人あまりの子どもに対して、支えるコーチ、スタッフは60人以上。
望月さんを中心に大人のスクラムも組まれました。
ラグビーを通じて、子ども達の成長を見守る望月さんの人間力に迫ります。

未熟児網膜症により全盲と言う障害を持ち生まれた演歌歌手・清水博正さん。19歳。彼は“目が見えないのは僕の個性”そう自身の障害を語ります。そんな清水さんが、一度、歌い出せば人々は涙し、明日を生きる勇気と力を得るといいます。そして、涙の後には、清々しい笑顔を取り戻すのです。“障害があるから仕方ない”それは誰しもが心のどこかで思っていることかもしれません。しかし、清水さんの両親は“障害があるからこそ外の世界を教えたい”そう育ててきました。その両親の元“目が見えないからこそ今の自分がある”と素直に考えるようになった清水さん。言葉で言えば容易な事。しかし、なぜ彼は、それが出来たのか?それこそが、19年と言う短くも長い人生の中で身に付けられた“人間力”なのです。社会に生きる誰もが1つは抱える困難。それと向き合う勇気を教えてくれる清水さん。常に笑顔を絶やさない演歌歌手・清水博正の“笑顔の秘密”に迫ります。
過疎化が進む富山市八尾町の山あいを回る移動マーケットで、お年寄りの食卓を支えているのが田保肇一さん(67歳)。かつて炭焼きで栄えた山あいの地区は高齢化が進み、姥捨て山と呼ばれる限界集落となっています。商店まで何十キロも離れているため、腰の曲がったお婆ちゃん達は買い物にも出られません。そんな人たちのためにと孤軍奮闘する田保さんは、冬には山の上の一軒へ道路のなだれを除雪してまで向かいます。そしてたくさんの元気を過疎の地域に届けています。コミュニケーションの場もなくなりつつあるなか、田保さんが来た時だけは住民が集まり、村に笑い声がひびきます。わずかな儲けにも関わらずひたむきに辛い仕事を続ける田保さんにとって、お客さんの笑顔は生きる原動力。「皆さんが喜んでくれることが自分の幸せ」と話す田保さんと、お年寄りとの絆に注目した温かい人情物語です。
観光客でにぎわう沖縄で、客数が伸びている修学旅行。学校のほとんどが日程に平和学習を取り入れています。その学習とは沖縄でガマと呼ばれる自然壕の中で行なわれます。案内人はボランティアで平和ガイドとしている上原幸典さん。太平洋戦争の沖縄戦で多くの住民が砲弾から身を守るため、ガマに身を隠しました。ガマは足場も悪く、暗やみと湿気の高さで快適な場所とは言えません。その中で起きた沖縄戦を上原さんは語っています。そして全ての明かりを消し、当時の環境を体験するのです。光のない世界。当時の過酷な環境に身を起きます。ガマで起こった悲劇を考えることによって生徒たちは上原さんから平和の尊さを学んでいきます。戦争を知らない上原さんにとってガマで話す沖縄戦は戦争体験者の証言によって語られます。高齢化が進む体験者の声に耳を傾け、若い人たちへその声を届ける上原さんの人間力に迫ります。
徳島県鳴門市の島田島で132年の歴史を刻んできた島田小学校が、この3月で休校になった。最後の1年間は生徒が一人だけ。田中大志くん(12歳)は漢字が大の苦手で、国語の力は6年生になった時点で低学年レベルだった。そんな大志くんが一大決心する。それは、島に伝わる戦争の悲劇を伝える朗読劇への挑戦。それもたった一人で…。これまで島田小学校の先輩たちが続けてきた朗読劇から、自分一人だけになったからといって逃げ出したくなかったから。しかし、国語が苦手な12歳の少年にとって、それは想像以上に大変なことだった。そんな大志くんを支えたのは、担任の村松由丈先生(42歳)。大志くんと1対1で向き合い、一緒に1段1段階段を上るようにゴールを目指す。2人は仲の良い友だち同士のようでもあり、時には厳しい父と息子のようでもあった。先生との絆を深めながら、大きく成長していく大志くん。二人三脚で歩んだ島の学舎の最終章を追った。
山懐に抱かれた小さな町で屈指の茶の産地の静岡県島田市川根町。この町に抜里(ぬくり)駅という小さな無人駅があり、公民館としても利用されています。駅舎の窓からは賑やかに惣菜を作る主婦たちの姿がありました。中心となっている諸田サヨさん「73歳」は、村の女性達に声をかけ、この活動を始めました。この地区は高齢化が進み、200世帯のうち20世帯が老人の一人暮らしです。サヨさんは、そんなお年寄り達を心配して、おしゃべりがてら出張販売にも出向きます。しかし、サヨさんもまた孤独な老人でした。一人暮らしのなかで、死の淵をさまようつらい病も患った事もあります。その経験が、サヨさんに人生を見つめ直す機会を与えたのです。駅で真心込めた惣菜を作り、村のお年寄りに手渡しながら、悩みを分かち合い、励ましあい、ふれあいを楽しむ。そんなサヨさんのいる無人駅は、温かさに包まれています。
青森県の津軽地方に明治時代から伝わる「金多豆蔵」という人形芝居があります。酒好きで情けの深い「金多」とおしゃべりだけど義理堅い「豆蔵」の2体の人形が津軽弁で漫才をしたり、冒険をする中に世相を嘆いたり、笑い飛ばしたりするというもの。金多豆蔵は100年以上にも渡って地域の人たちに笑いを届け愛されてきました。現在、人形芝居の座長を務めるのは木村巌さん(44歳)。米農家を営む木村さんは農作業の合間を縫って姉と二人で活動を続けています。娯楽が多様化する現代にあって、金多豆蔵の人形芝居はかつてのような引き合いはありません。同じ津軽地方に居ながら津軽弁のセリフの意味が分からないという声を聞くこともあります。一方で、木村さんの活動に共感を覚え人形芝居の定期公演を提案して応援する地元ホテルの協力者も現れました。時代の狭間で伝統を守り伝えることの難しさを実感しながらも精力的に活動を続ける木村さんの人間力に迫ります。
宮城県仙台市在住のボルジギン・イリナさん(32歳)。彼女は、中国・内モンゴル自治区出身のプロのモンゴル民族歌手です。留学のために、日本にやって来た彼女には、大きな夢があります。それは、ふるさとの子どもたちのために学校を作ること。
広大な内モンゴルでは、都市と農村の経済格差が大きく、農村地域では、学校の整備が遅れ、教育に手が回らないという現状があります。
イリナさんは、ふるさとの子どもたちは、みんな大きな可能性を持っていると、教育を受けられない地域に学校を建てるために立ち上がりました。しかし、学校建設には資金が必要です。日本にいる自分にあるのは歌。イリナさんは、ふるさと内モンゴルの文化を日本各地に広めながら、チャリティーコンサートを続けています。
今年中に学校を建てるため、目標額まであと少し。日本と内モンゴルの仲間たちに支えられながらも、夢に向かって奮闘し続ける彼女の人間力に迫ります。
災害や事故の現場で人命救助にあたる石川県金沢市の特別救助隊「金沢レスキュー隊」。いざという時に駆けつけてくれる屈強な隊員達を率いる隊長が森川茂善さん(45)です。実は森川さんには、綱引きチームの監督としてのもう一つの顔があります。金沢レスキュー隊は、およそ30年前から、冬場のトレーニングの一環として“綱引き”を取り入れ、日本一を目指しながら隊員の育成に役立てています。今では11回の日本一、世界ナンバーワンになったこともある強豪チームとして全国にその名を轟かせています。森川さんの指導の下、この冬も日本一を目指して綱引きトレーニングが始まりました。金沢レスキュー隊の“綱”を通した絆、人のためにがんばる“心”を伝えたい。隊長として、監督として若い隊員達を育て、率いる森川さんの人間力を探ります。
北海道の大自然に囲まれた、苫小牧市のウトナイ湖。250種を超える野鳥が生息し、秋には渡り鳥の中継地として賑わいます。この地に建つ野生鳥獣保護センターで、傷病野鳥の救護員を務める、獣医師の加藤智子さん(30歳)。壁に衝突したり、釣り針を飲み込んでしまうなど、人間側の問題で傷つき、運ばれてくる野鳥たちのケアに追われる加藤さんは、そのような鳥を少しでも減らそうと、市内の小学校を回ります。野生動物を守るために、人間が気付くべきことのヒントを伝える「出前授業」を始めたのです。「野鳥が壁にぶつかるからといって、家を壊すわけにはいかないし、傷ついた鳥1羽を野生にかえすことで自然環境が変わるとも思っていない。ケガをする理由・背景を知った上で、自然や動物のために自分には何ができるかを考える機会になれば」。そう語る加藤さんのもとには、今日も飛べなくなった野鳥が運ばれてきます。若き女性獣医の人間力が、人と鳥に働きかけます。
鹿児島本土から約40キロ、東シナ海に浮かぶ小さな島、甑(こしき)島。ここで生まれ育った平嶺林太郎さん(26)は、6年前に「甑アートプロジェクト」を立ち上げた。美大生や若手アーティストが共同生活しながら、空き家、空き倉庫、そして学校などを舞台に作品を制作する現代アートの美術展だ。美大生たちは、夏休みの一ヶ月間島に滞在。それぞれが感じた「甑島」を作品にしていく。夏休みの体育館をまるごと作品にする作家、島の古老から聞いた河童の話から作品を展開させる作家。島に流れ着いた漂流物を作品にする作家・・・作品には、様々な甑島の魅力が織り込まれていく。始まった当初は、遠巻きに見ていた島の人々も回を重ねるごとに作家たちと交流を始め、現在は行政も参加するまでとなった。現代アートになじみの薄かった島の人たちを巻き込みながら、「現代アートで島を元気にしたい」と奮闘する平嶺 林太郎さんの姿を描く。
奥会津の小さな町福島県三島町、この町で「奥会津書房」という小さな出版グループを主宰している遠藤由美子さん(60歳)は、自分の祖父母や親の生き様を直接聞いて知ることで子どもたちに自分のよりどころを見つけてほしい、生きるための手がかりをつかんでほしいと「聞き書きを本にする」という活動を続けています。人間関係が希薄となっている今の時代、自分の生きざまを語り伝えることは1つの生き方を伝えることであり、家族をつなぐ糸口ともなります。聞いた話は本にまとめられ、それは家族の宝物になっています。ひたむきに生きてきた人が持つ「人としての力」それこそが伝えていきたいこと。ふるさとの人々の生きざまを聞くことが未来を生きる子どもたちの道標になると信じ、地域の仲間とともに「聞き書き」に取り組んでいる遠藤さんの姿を描きます。
北京パラリンピックで日本チームの旗手を務めた義足のハイジャンパー鈴木徹さん(29歳)。ハンドボールの選手として国体にも出場し将来を嘱望されていた鈴木さんは、高校卒業を目前にして自動車事故で右足膝下を失ってしまいました。しかし、義肢装具士や後に妻となる看護師麻美さんなど多くの人たちの支え、そして新たな夢(走り高跳びで世界一になる)との出会いが鈴木さんを失意の中から立ち直らせました。現在鈴木さんは、陸上競技大会に出場する傍ら、積極的に講演活動も行っています。若者たちに「将来へ希望を持ってほしい」という思いから始まったこの講演活動は、一方で、自分を支えてくれ人たちへの恩返しでもあります。今も人間的に成長を続ける鈴木さん、そんな鈴木さんの魅力とハンディキャップを乗り越えた強さの根源に迫ります。
韓国伝統舞踊家として将来を嘱望されていた金昴先(キム・ミョウソン)さん(51歳)は、日本公演の際、徳島市にある四国88ヶ所の第13番札所、大日寺に宿泊したことが縁で、18歳年上の大栗弘榮住職と結婚、一粒種の弘昴君(10歳)にも恵まれます。住職婦人と舞踊家としての多忙な日々を送るうち、当初日本で暮らすことに反対していた師匠の理解を得て、韓国の次期人間国宝に指定されるまでになります。2年前に夫が突然倒れ、韓国に帰ろうか迷った彼女の心を決めさせたのは息子の「僕がお父さんのように立派なお坊さんになるまで寺を守って欲しい」という一言でした。苦労の末、息子と二人で得度、ついには四国88ヶ所初の外国籍の住職に就任するまでになりました。言葉、風習、文化など様々な違いを乗り越え、宗教と芸術の両立をはかるキムさんの人間力に迫ります。
「スイム」「バイク」「ラン」の3種目で競う「トライアスロン」。鉄人レースと呼ばれるほど過酷な競技として知られています。トライアスロンに人生を賭け、夢に挑む男性がいます。日本のトライアスロン発祥の地・鳥取県米子市。毎年夏に開かれる全日本トライアスロン皆生大会は今年で29回を数え、全国から800人を越す選手がやってきます。この街で生まれ育った小原工さん(42)。人は彼を「ミスタートライアスロン」と呼びます。小原さんは、プロのトライアスリートとして数々の世界大会で入賞。シドニーオリンピックにも出場しました。そんな彼が去年10月、地元に戻ってきた。
「ずっと応援してくれた地元に恩返しがしたい。」
今年4月、子どもたちにトライアスロンを教える「トライアスロンスクール」を作りました。小中学生20人以上が通ってきます。小原さんの故郷、子どもたちに対する思いやトライアスロンという過酷な競技を通じて成長する子どもたちとの触れ合いを見つめる。
東京銀座のビルの屋上で、養蜂の指導を続けているのが盛岡市の養蜂家、藤原誠太さん。彼の養蜂指導がきっかけとなり、銀座に自然を取り戻そうとする『銀座ミツバチプロジェクト』がスタート。ハチミツを採取するだけでなく、ミツバチにとって住みよい環境を作るために、都心のビル街に花や緑を増やす取り組みを行っている。学生時代、養蜂の留学で南米から帰国した誠太さんは、日本古来のミツバチ、『日本ミツバチ』の魅力に取り付かれ、日本在来種ミツバチの会を立ち上げた。以来、長年の研究の末、養蜂には難しいとされてきた、日本ミツバチの専用縦型巣箱を開発した。日本の風土や気候に合っている日本ミツバチの重要性を説き、養蜂普及に努める。最近、世界的な問題になっているミツバチの大量死は、主に西洋ミツバチ。原因は特定されていないが、農薬が原因ではないかと指摘する。世界のミツバチを救うためにも、農薬が引き起こす生態系破壊について、蜂の目線で訴えようとする。
静岡県沼津市で植木業を営む加藤愛夫さん60歳は、レガッタに夢中です。高校時代、不完全燃焼のまま遠ざかっていたレガッタに、あるきっかけから再び向き合うことになりました。それからというもの毎朝3時半に起き、狩野川で早朝練習に励んでいます。ボート部の現役高校生にも勝負を挑むため“妖怪 狩野じぃ”と呼ばれ、一目置かれる存在に。高校時代は国体6位入賞が最高だった加藤さんですが、今では全国各地の大会に出場し、かつてオリンピックや世界大会の常連だった選手たちと肩を並べて競い合うまでになりました。大会には奥さんが必ず同行します。たった一人の大切なマネージャーなのです。道中、観光名所に立ち寄ったり、家族の話をしたり、夫婦の思い出も増えました。「最後まであきらめない」をモットーに、何事にも真剣に取り組み、笑顔を絶やさない加藤さんは、家族や仲間まで幸せな気分にさせてくれる不思議な魅力溢れる人なのです。
溢れる子供の笑顔と笑い声。一歩そこに入ると、少子化という言葉を忘れてしまいます。神奈川県川崎市にある「柿の実幼稚園」には1300人の園児が通い、160人以上の先生と職員がいます。山の斜面に園舎や遊具が点在する園内は、まるでフィールドアスレチックかテーマパークのようです。園長の小島澄人さん(55歳)は、決して幼稚園の巨大化を目指していたわけではありません。「自分自身が楽しみたい!」という子供のような純粋さで行動するうちに、人が集まってきたのです。保護者たちは小島園長を「一生懸命楽しんで生きている人」と評します。そんな小島園長が5年前に脳梗塞で倒れました。しかし、園児、保護者、先生たちの励ましを受けて、1週間で園に戻り、毎朝の日課である園児たち全員との握手を再開。それが最良のリハビリとなって、今ではすっかり回復しました。何にでも全力投球し、人を惹きつけてやまない小島園長、その人間力に迫ります。
秋田県仙北市出身のテノール歌手、本田武久さん(38歳)。高校教師の職を投げ打ち、苦労の末にプロ歌手の夢を掴みました。活動が軌道に乗りかけた矢先、病が本田さんを襲います。「包巣状軟部肉腫」。がんの一種ですが、まだ有効な治療法がない病気です。がんは歌手の命、肺にまで転移していました。しかし本田さんはこれまで以上に積極的なコンサート活動を始めます。過酷な運命を受け入れ、大好きな歌を歌い続ける道を選んだ本田さん。生きることの素晴らしさを伝えるのびやかな歌声は、重い病気と闘う人だけでなく、たくさんの人の心に響いています。コンサートに足を運ぶそんな人々の姿が、本田さん自身を支えています。確実に進む病状。死の恐怖。様々な葛藤を乗り越えながら「生」を歌い続ける本田さんの思いに迫ります。
今、校庭の芝生化が全国で注目されています。その普及拡大の一翼を担っているのが「鳥取方式」と呼ばれる新たな芝生化です。日本で芝生と言えば綺麗な庭園や競技場を想像します。芝生が傷むからとの理由で立ち入り禁止や利用制限があるのが常です。一般人にとっては敷居が高く、こうした状況が「芝生は高価で維持管理が大変」という芝生に対する固定観念を日本人の中に自然に植え付けてきたのかも知れません。そんな日本の常識に風穴を開ける人物が現れました。鳥取市在住のニュージーランド人ニール・スミス氏です。彼は6年前にNPO法人を立ち上げ、鳥取県が管理していた2万平方mの牧草地を借り受け、地域住民と芝生専門の大学教授の力を借りながら、安価で維持管理が容易な新たな芝生化のスタイルを確立しました。そして全国の校庭を芝生化しようと踏み出したのです。「校庭は土であるべき」という声や行政の壁にぶつかりながらも、彼は地道に賛同者を増やし、全国各地に鳥取方式による校庭の芝生化が広まりつつあります。ニール氏の情熱と気概、校庭の芝生化が地域住民や子どもたちの心身両面に何をもたらしたのか?各地の事例を元に探っていきます。
※この番組を含む「鳥取方式による校庭芝生化普及キャンペーン報道」は
第46回 ギャラクシー賞 報道活動部門 大賞 受賞
2008年度 民間放送連盟賞 特別表彰部門 放送と公共性 最優秀賞 受賞
第9回 日韓中テレビ制作者フォーラム優秀賞 受賞
過疎化・高齢化が進み、赤字が深刻な地方の鉄道。廃止の瀬戸際にあるローカル線を守りたいと、知恵をしぼる鉄道マンがいます。JR北海道の副社長で技術者のトップ、柿沼博彦さんです。線路を存続させるためには、運行にかかるコストを今の5分の1以下に削減しなくてはなりません。そのために考え出したアイディアが、マイクロバスに鉄道の車輪を取り付け、1台で鉄道も道路も走れる車両を実現することでした。世界中で成功した例のないという、「夢の車両」です。3年がかりの開発には、北海道の厳しい自然で培われた技術が総動員されました。しかし、これまでの法規制の枠からはみ出る新しい車両を営業運転するためには、越えなくてはならないハードルがまだまだあります。地方の人たちの足を守りたい・・・その一念で開発をリードする柿沼さんの信念は、「人の役に立ってこそ技術」。その姿を追いながら、地域社会と鉄道について考えます。


