
磐城高箸は福島県いわき市にある小さな割り箸工場です。社長の髙橋正行さん(42)は低迷する林業を支えるため杉の間伐材で割り箸を作ろうと2010年に会社を設立しました。
割り箸は日本で生まれ約300年の歴史を持つと言われています。形や削り方によって名称が変わるほど、割り箸には様々な種類があります。割り箸の世界で最高級と言われる素材は杉です。髙橋さんはその杉を使って中央が太く両端は細い利久箸を作っています。磐城高箸の割り箸作りは一切の妥協がありません。縦に貫く木目が美しく、手触りもなめらかで気品が漂う割り箸です。機械で製造しますが、細部は職人さんの手作業で仕上げます。厳しい品質基準のため、合格品になるのは生産量の約20%です。端材や不合格品は乾燥室のボイラーの燃料にするので、木材を無駄にすることはありません。
磐城高箸の利久箸は高い品質が認められ日本料理店などの飲食店はもちろん会社のノベルティーとしても使用され、ギフトとしても人気があります。
髙橋さんは更なる販路拡大を目指し国内や台湾の企業との商談を続けています。しかし、成果が得られることはそう多くはありません。一般の割り箸との価格差が50倍以上あるからです。しかも国内で使用される割り箸のほとんどは中国など海外からの輸入品です。日本製の割り箸のシェアはわずか2%ほどとも言われています。国内はもとより海外で割り箸を売ることは簡単なことではないのです。

挑戦を続ける髙橋さんには心強い仲間がいます。鳥居塚実さん(83)は髙橋さんの祖父貞一さんと共に造林会社で働いた経験を持ち、髙橋さんの良き相談相手です。蛭田真浩さん(28)は女性の職人さんと共に割り箸作りに力を注ぎ、工場を支えています。そんな3人の強い思いが込められた商品があります。磐城高箸の主力商品「希望のかけ箸」です。
磐城高箸は創業当時、思うような割り箸が作れず出荷できませんでした。ようやく納得できる割り箸が完成、出荷しようとした矢先に東日本大震災に見舞われます。機械が壊れ、割り箸が作れなくなり、取引先からは契約解除の通達が相次ぎました。髙橋さんの心は折れかけ、廃業へと傾きました。
法人解散の手続きに入ろうとした時、1本の電話が入ります。それはデザイナーのボランティア団体「イート・イースト」から支援の申し出だったのです。

ボランティア団体の行動を目の当たりにした髙橋さんは「このまま逃げてはいけない、続けよう」と心に決めました。髙橋さんが考えたのは福島、宮城、岩手、被災3県の杉を使った割り箸を作り義捐金を送ることでした。こうして誕生したのが「希望のかけ箸」です。それは磐城高箸の未来への架け橋になりました。心を込めて作った割り箸が導く先には小さな奇跡の物語が待っていたのです。
編集後記
ディレクター:齋藤善徳(福島テレビ)
山林を守り次世代へ手渡したい。そして、割り箸のイメージを変えたい。そんな髙橋さんの思いの結晶が磐城髙箸の割り箸「利久箸」です。その美しい利久箸に思いを込めるのは髙橋さんだけではありません。鳥居塚さんは茶の間に利久箸を飾り、丁寧な削りは他にないと胸を張ります。蛭田さんはわが子のようだと利久箸への愛情を語ります。そして妥協はしないと語る女性の職人さんたち、丹さんや雲藤さんなどみなさんのものづくりの信念が磐城高箸の利久箸に込められているのです。そんな思いが丹念な手作業と相まって製品に更なる輝きを与えます。だからこそ磐城高箸の利久箸は使う人の心を打つ製品になるのだと思います。日本のものづくりの原点はそんな精神性にあるのかも知れません。
髙橋さんは「ものづくりはコミュニケーションの一つの方法」だと教えてくれたことがありました。事実、思いの込められた利久箸は海を渡り、遠く台湾の地に辿りつきました。
台湾のセレクトショップ「久友生活」のオーナーの陳さんは髙橋さんの思いを確かに受け取っていました。お店の目につくところに磐城髙箸の利久箸がディスプレイされ、髙橋さんの思いが小さなポップ広告に記されていたのです。それは美しい利久箸を介して髙橋さんと陳さんが心と心の交流した証だと思います。
さらに髙橋さんの思いが結実したのが杉の枕「眠り杉枕」です。今までは乾燥室のボイラーの燃料になっていた強度が弱い割り箸を刻み、それを枕の中身にすることで、木材をさらに有効的に活用する方法を見つけたのです。
そして、今、髙橋さんは近隣の古殿町の杉をブランド化しようという計画の手助けをしています。髙橋さんの活動の幅は広がり、周囲の期待を集めているのです。磐城高箸の未来には確かな光明が見え始めています。
磐城高箸の利久箸を手にすると杉の香りに包まれます。それは心を包み込むように優しく香るのです。それはきっと希望の香りだからではないでしょうか。