#5 復活!伝統の味 江戸東京野菜に学ぶ

2013年5月12日(日)(テレビ朝日 放送) テレビ朝日制作  協力 文部科学省

江戸時代からの歴史を持つ東京の伝統野菜、「江戸東京野菜」です。
現在、スーパーなどで一般的に売られている野菜は、日持ちがし、育てやすいように
かけあわせや品種改良がなされています。しかも食べやすいようになっています。
「江戸東京野菜」は、本来の苦みや独特な香りなどが残る個性的な野菜。
一度食べるとその味わいがやみつきになるという人もいます。

そして、江戸東京野菜にはそれぞれに物語や歴史があることも魅力の一つなんです。
江戸時代、急激に人口が増えた江戸の町。幕府は食糧確保のため、城の周囲で様々な野菜を作らせました。
例えば…現在の葛飾区金町で作られたのは「金町こかぶ」、大田区・馬込で作られた「馬込三寸人参」など、それぞれの野菜には生産地の名前が付けられました。
しかし宅地化が進むことによって畑が少なくなり栽培量も減っていきました。
そのために江戸東京野菜の歴史は途絶えかけていましたが、最近になって復活し始めます。

そこには、東京の伝統野菜の復活に尽力する人々の情熱、そしてドラマがありました。
絶滅したと思われていた野菜が、遠く仙台まで運ばれ栽培が続いていました。
都内の住宅密集地ではひっそりと江戸東京野菜が息づいていました。
江東区亀戸が産地の「亀戸大根」は軸が真っ白!そこには江戸っ子たちがこだわった「粋」にまつわる意外な理由が隠されているんです。
「江戸東京野菜」には、その歴史と成り立ちに、たくさんの学びがあります。

編集後記

ディレクター:市村 奈穂 (テレビ朝日映像)

“「江戸東京野菜」には、人を夢中にさせる魅力がある”今回、取材をする中で多くの方々から教えられたことです。「苦み」「えぐみ」などが残る独特な味もさることながら、この野菜には歴史と物語がつまっている――。
文献や言い伝えなどから歴史を辿ると、活気があった江戸の町で様々な野菜が栽培され、江戸っ子たちに愛されていたことがわかります。現在の江東区亀戸で作られていた「亀戸大根」は代表的なもの。葉の軸が真っ白なものが突然変異で現れた時、江戸っ子たちは「粋だねぇ」と喜び、それ以来亀戸大根は「白軸」が定番になったといいます。また亀戸大根のように野菜の名前には当時の産地名が付いていて、今では住宅地となっている土地が、川が近いとか土が良いといった、それぞれの野菜の栽培に適した場所でもあったようです。

こうした物語をアピールし江戸東京野菜を広める活動をしているのが「江戸東京・伝統野菜研究会」の代表、大竹道茂さんです。野菜の歴史や成り立ちについてのお話は、私もその面白さにひき込まれました。しかし現実は…宅地化で畑がなくなり、需要も無く、多くは絶滅してしまった、と。野菜の品種改良の技術が進んだ現代、食べやすい味でサイズも大きいものが求められるのも、当然の消費者心理です。
これを食い止め、復活させたのが「江戸東京野菜」の持つ物語。ストーリーに魅了された大竹さんや農家の皆さんたちが立ち上がり、今再び、残された種の存続に尽力しています。
絶滅したと思われていた野菜も復活させました。江戸時代に種が運ばれ、仙台で栽培が続いていた「芭蕉菜」を発見し、東京の地で芽吹かせた「青茎三河島菜」。早稲田の住宅街に残っていたのを発掘した「早稲田みょうが」など。
現在、「江戸東京野菜」として登録・認証されているのは30品目の野菜です。皆さんは、今後さらに種を発掘し、増やしていきたいとおっしゃっていました。
復活と共に、語られる歴史やストーリーがまた増えていくのも、楽しみです!

番組情報

  • 押上 よしかつ

    【住所】東京都墨田区業平5-10-2
    【電話】03-3829-6468

  • 東京うど 須崎農園

    【住所】東京都立川市幸町5-27-1
    【電話】042-536-0087

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