東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県女川町。震災前、ここでは、全国の特産品を原料とした「ご当地かりんとう」が作られていました。
経営者の阿部雄悦さんは、障がい者の雇用に力を入れていて、働く人のほとんどが障がいのある人です。しかし、震災の津波に工場は流され廃業を余儀なくされました。
誰もが諦めかけていたその時、かりんとう作りに欠かせないミキサーが奇跡的にがれきの中から見つかり、再起を図ることを決意しました。再起の場所は知人を頼って避難した鳥取県。震災から3か月、あのミキサーが届き、鳥取でのかりんとう作りが始まりました。
しかし、阿部さんの目標はあくまでも、ふるさと女川での工場再建。震災から2年4か月、ついに女川町にかりんとう工場が帰って来ました。震災前に働いていた仲間もほとんど戻ってきて、今は、かりんとうだけでなく、パンや水産物も作れるほどになりました。震災から5年、女川町には、商業施設ができるなど少しずつ復興の兆しを見せています。
そんな中、阿部さんは悩みに悩んで決断したことがあります。
自分を受け入れてくれた鳥取に残るのか、それともふるさと宮城に戻るのか。
揺れ動いていた阿部さんが出した答えとは・・・。
編集後記
ディレクター:渡邉 将史(日本海テレビ)
かりんとうと言えば通常、黒くて太いものをイメージすると思います。しかし、今回取材したかりんとうは、平らな形。かりんとうを作るほとんどが障がい者のため、障がいがあっても簡単に作れるようにと工夫されています。さらに、種類は100を超えるほど。梨、りんご、いちごなどイメージできるものもたくさんありますが、いのしし、どじょう、
さんまなど何でもかりんとうになってしまいます。
このかりんとうを作る男性を追いかけた期間は5年間。
これをどう30分にまとめるか悩みましたが、震災から5年ということもあり、過去よりもできるだけ今の被災地の様子を伝え、少しずつではありますが、確実に復興は進んでいるということを伝えようと思いました。
また、舞台が鳥取と宮城2か所あるので、できるだけ行ったり来たりをなくそうと思いました。しかし、震災から5年目の取材始めた頃、男性から出た「自分の体調が続く限り行ったり、来たりする」という言葉を聞き、あえて行ったり来たりする作りにしました。途中、どちらにいるか分からないという指摘はあるかと思いますが、仲間のために走り続ける男性の苦労や思いが少しでも伝わればと思います。