編集後記
ディレクター:間淵 裕子(名古屋東通企画)
竹島水族館は、昭和を感じさせるレトロな建物だけを見ると、「入って大丈夫かな」とやや不安になります。しかし館内に入ってみると、無数に貼りだされた展示物にまず驚き足をとめ、水槽で泳ぐ魚たちの展示方法も遊び心が溢れていて、またそこで足を止めて見入ってしまう、そんな水族館です。サッカーコート半分しかない施設なので、すぐ見終わってしまうかと思いきや時間があっという間に過ぎていってしまうほど見ごたえ充分です。さらに「小ささ」を逆手に取ったアシカショーは、いつ行っても満員。客との掛け合いも見もので、いつも笑い声が絶えません。
この竹島水族館には、イルカやシャチなど目玉となる生き物はいません。それでも年間に30万人もの客が足を運ぶのは、なぜなのか。これまでの経緯や飼育員たちの思いを探ってみたい、それが取材の始まりです。取材を進め蓋を開けてみると6年前までは今の水族館からは想像がつかないほど入館者は低迷し、廃館の危機まで追い込まれていたほど寂れた水族館でした。そんなどん底時代に入社したのが、現在の館長 小林龍二さんです。地元で生まれ育ち足しげく通った水族館で飼育員という夢を叶えたものの客が来ない、毎日貸切状態で水族館の存在意味を深く悩んだといいます。いっそのこと辞めて大きな水族館へ再就職も考えたものの、留まったのは唯一つ“生まれ育った地元”だったこと。お金が無いならその分知恵を出す。手作りにとことんこだわって客と飼育員、客と生き物との隔たりをなくす。イルカやシャチがいないなら、飼育員を展示物にしよう。「どん底だったから、お金がなかったから思いついたことがいっぱいある」と何度も話す小林館長。
そして、水族館を支えるのは飼育員だけではありません。珍しい深海生物を生きた状態で持って帰って来てくれるのは、地元の漁師たちです。全国最多の120種類もの深海生物を展示できるのも、地元の人たちの惜しみない協力のもと成り立っているのです。
年間30万人もの客が足を運ぶ水族館に生まれ変わった今、さぞかし満足していると思っていましたが、小林館長のアイデアノートにはまだまだ実現させたい未来予想図が描かれていました。小さいけれど、手作りとアイデアはどこにも負けない竹島水族館の快進撃には、まだまだ目が離せません。