編集後記
ディレクター:鹿野 真源(IBC岩手放送)
今回取材した岩手県久慈市小袖海岸は、明治初頭から続く「北限の海女」の地。現在も、漁港に建つ小袖海女センターを拠点に、7月の頭から9月の末まで、海女が観光客を相手にウニの素潜り漁を実演しています。NHK連続テレビ小説「あまちゃん」のロケ地として、現在も国内外からドラマファンが「聖地巡礼」に訪れています。その一方で「あまロス」も加速度的に進行していて、年間18万人いた観光客は去年3分の1を割り込みました。
概略はこの程度にします。取材を終えて思うのは、久慈の海女は「生きた化石」だということです。
彼女たちが海女として自己を見出しているのは、観光実演よりも「本気採り」と呼ぶ、一年に2〜3回だけの漁業者としての素潜り漁です。観光用に素潜り実演を行う小袖海女センター前の海とは違い、「本気採り」の漁場は海藻が繁茂し、リアス式の岩礁が点在し、海中のうねりが厳しい海。人間を暖かく受け入れるような場所ではありません。
およそ2時間の間、彼女たちはこの海に潜りウニを採ります。海底からのびる海藻に絡まりながら、揺らめく海に酔って時には嘔吐しながら、何より危険と隣り合わせで、ひたすら潜るのです。年によっては、溺れかける海女もあるほど。
にもかかわらず、なぜ彼女たちは海に潜るのか。海女が口を揃えて言うのは、「家族のため」。「お金儲けのため」と言われた方が、よっぽど腑に落ちるのですが、そうではありませんでした。剥き身でキロ1万2000円を超えた今年のウニ。優れた海女は一度の「本気採り」で15キロ以上採ると言います。しかし、その半分も売りには出していません。ほとんどは家庭での消費、親戚へのお中元などに費やされているのです。要は、家族に自分が採ったウニを食べさせるために、海女は海に潜るのです。
歴史の授業では、縄文時代の人間は狩猟生活を送っていたと習います。「本気採り」を撮影していて、私には海女の姿がその縄文人に重なりました。その後、弥生時代に農耕生活が始まり、米を介した物々交換の流通が生まれ、貨幣の登場で経済は高度化します。私たち会社勤めの人間がそうであるように、自分や家族が食べるものを自分で採る必要はなくなったわけです。そして、人間は一生懸命お金を稼ぎます。世の中のほとんどの物が、お金で買えるからです。
にもかかわらず、久慈の海女たちは「お金のため」ではなく、「家族に食べさせるため」海に潜ります。ああそういうものなのかと思いつつ、実はこのことが取材中どこか腑に落ちないままでした。「なるほど」と思えたのは、密着取材させていただいたベテラン海女・欠畑きわ子さんの本気採り後の食卓でした。彼女には5歳の双子と2歳の、3人のお孫さんがいます。目に入れても痛くないほどかわいい孫がウニを食べる姿を、幸せそうに見つめる欠畑さん。「今これを見て、来年の本気採りを考えている」という言葉。その時、「本気採り」は彼女なりの愛情表現なのだろうと思えたのです。きっとそれは、なにものにも、お金にも代え難い最高の喜びなのです。
一方で、漁業者としての海女は担い手不足、高齢化に直面しています。観光海女は、番組の主人公でもある藤織ジュンさんのような担い手が現れるかもしれません。しかし、通年で収入が得られない現在の漁業者として海女は、ドライな言い方をすれば、このまま状況が変わらなければ、いずれ途絶えてしまうものです。いや、すでに途絶えていてもおかしくないのです。それでも2017年現在、彼女たちは彼女たちなりの愛情のために、今も海に潜り続けています。私はそれを素朴に「素敵だな」と思います。
この取材の経緯から、今回の番組を海女の愛の物語としました。時に「撮るな」と私を怒鳴り、時に「ぼさっとしてないで手伝って」と私にホタテを焼かせる彼女たちですが、「おつかれさん、一緒にお昼食べてって」と労をねぎらうのを忘れない、愛に溢れた女性たち、それが小袖の「北限の海女」なのです。彼女たちのたくましさと暖かさが、番組をご覧いただく方に伝われば、それが制作者としての喜びです。
番組情報
◆小袖海女センター
※7月から9月一杯まで土曜・日曜・祝日に海女による素潜りの定時実演を行っている。
【住 所】岩手県久慈市宇部町24-110-2
【電 話】0194-54-2261