#139 昭和のお菓子をこどもたちに~73歳で始めたポン菓子職人

2018年7月21日(土)(テレビ朝日 放送) 四国放送制作 協力/文部科学省 総務省 独立行政法人 中小企業基盤整備機構

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バーン」という爆発音と湧き上がる蒸気とともに姿を現す「ポン菓子」。昭和の時代には、神社や公園、空き地にやってくる職人に米と砂糖を渡すと、目の前で作ってくれましたが、そうした光景は、ほとんど見かけなくなりました。そんなポン菓子の職人を、去年73歳にして始めた男性がいます。

徳島県小松島市の岩田善則さん。15歳で木工会社に修業に出て、25歳で会社を設立、70歳で引退するまで建具一筋の人生を送ってきました。
木工職人の岩田さんが、どうしてポン菓子職人になったのか。「職人が引退しポン菓子が食べられなくなる」という単純な理由から。去年引退した職人に作り方を教わり、週に一度の販売を始めました。実際に空き地に店を出すと、音を聞いて懐かしく感じるお客さんがやってきます。

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「ポン菓子機」を開発したのは、福岡県北九州市の吉村利子さん92歳。今も現役で機械修理の会社を営み、ポン菓子の実演も手がけています。
大阪で教師をしていた昭和19年、「やせた子どもたちのお腹を満たしたい」と知人の技術者に書いてもらった設計図を携え、当時鉄工所が集まっていた北九州に単身乗り込み職人を探して開発。日本中に機械を売り歩きました。「ポン菓子を広めた人に会ってみたい」。岩田さんは九州に向かいます。

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地元の祭りでは、爆発する様子を興味深く見守る子どもたち。昭和のお菓子は、次の時代の子どもたちにも愛されるでしょうか。ポン菓子に第二の人生を捧げる職人を追いかけました。

編集後記

ディレクター:八幡 篤範(四国放送)

爆発で米をふくらませて作る、昔懐かしいお菓子「ポン菓子」。スーパーや産直市で「商品」を見かけることはあっても「できる瞬間」を目にすることは、ほとんどなくなってしまいました。爆発のインパクトが強く、音の大きさばかりに注目してしまいますが、爆発直前のドキドキ感や、できた瞬間の米の香ばしい匂いなど、実演でしか味わえない魅力も、今回の取材を通じて感じました。

73歳でポン菓子を始めた岩田善則さんは、建具一筋の職人だっただけに、火力に影響する「風の強さや向き」、米に絡む「シロップの粘り具合」、食感を左右する「シロップの乾き具合」などにこだわっています。そして、釜を回しだしたら注文の電話に出ません。電話に対応する、わずかの時間が釜を開くタイミングに影響するからだそうです。
「ポン菓子を残したい」という岩田さんの第二の人生は、真剣そのもの。実演する姿を見せながら、跡を継いでくれる人が現れるのも待っています。平成も幕を下ろそうとする今、ポン菓子を受け継ぐ人は出てくるのか。

今回の放送が、その一助になればと思っています。

番組情報

◆ポン菓子職人 岩田善則さん
【電 話】090-3786-1185
※毎週金曜日 小松島市田野町の自宅横作業小屋で販売(空き地での販売は不定期)

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